男はつらいよ(おとこはつらいよ)は、渥美清主演・山田洋次監督(一部作品除く)のテレビドラマ及び映画である。テレビドラマ終了後、後述の理由により映画としてシリーズ化された。 テキ屋稼業を生業とする"フーテンの寅"こと車寅次郎が、何かの拍子に故郷の葛飾柴又に戻ってきては何かと大騒動を起こす人情喜劇シリーズ。旅先で出会った"マドンナ"に毎度のことながら惚れつつも、結局いい人どまりで終わってしまう寅次郎の恋愛模様を、日本各地の美しい風景を背景に描く。 主人公の名前から、作品自体も「寅さん」と呼ばれることが多い。
概要[]
映画シリーズは松竹によって1969年から1995年までに全48作が、1997年に特別編1本が製作された。
山田洋次が全48作の原作・脚本を担当。第3、4作を除く46作を自ら監督した。第3作の監督は森崎東、第4作は小林俊一である。第5作を山田洋次が再び監督し、シリーズを完結させる予定であったが、あまりのヒットに続編の制作が決定した。
以降、全作品がヒットして松竹のドル箱シリーズとなり、30作を超えた時点で世界最長の映画シリーズとしてギネスブック国際版にも認定された。ただしこれは作品数においてであり、年数では『ゴジラ』シリーズの方が長い。渥美清の死去により、1995年に公開された第48作「寅次郎紅の花」をもって幕を閉じた。その後、ファンからのラブコールが多かったとの事で、「寅次郎ハイビスカスの花」を再編集し新撮影分を加えた「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」が1997年に公開された。また渥美の死により、第49作および本来の最終作となるはずだった第50作がお蔵入りになった。 テンプレート:ネタバレ
ギャラリー[]
映画概要[]
渥美清が演じる主人公、「フーテンの寅さん」こと車寅次郎は、父親、車平造が芸者、菊との間に作った子供。実母の出奔後父親のもとに引き取られたが、16歳の時に父親と大ゲンカをして家を飛び出したという設定。第1作は、テキ屋稼業で日本全国を渡り歩く渡世人となった寅次郎が家出から20年後突然、倍賞千恵子演じる腹違いの妹さくらと叔父夫婦が住む、生まれ故郷の東京都葛飾区柴又・柴又帝釈天の門前にある草団子屋に戻ってくるところから始まる。
シリーズのパターンは、一貫している。寅次郎は、旅先や柴又で出会うマドンナに惚れてしまう。マドンナも寅次郎に対して好意を抱くが、それは多くの場合恋愛感情ではなく、最後にはマドンナの恋人が現れて振られてしまう。そして落ち込んだ寅次郎が正月前、もしくは盆前(即ち正月、盆がテキ屋は書き入れ時)に再びテキ屋稼業の旅に出て行くという結末となる。
寅次郎夢枕の千代や、いわゆる「リリー三部作」[1]のリリーなどのように寅次郎に恋愛感情を持ったマドンナもいたが、この場合は、寅次郎の方が逃げ腰になり、自ら身を引く形となっている。また、マドンナと「うまくいっている」と誤解している時点で、寅次郎が柴又に帰り、さくら達にマドンナとの楽しい体験を話す場面は、渥美清の語りは落語家のような名調子で、スタッフやキャスト達は「寅のアリア」と呼んでいた。
42作目以降の4作品のマドンナは、さくらの息子満男(吉岡秀隆)が思いを寄せる泉(後藤久美子)となり、寅次郎は満男のコーチ役に徹している。このようになったのは渥美が病気になり快活な演技ができなくなったためである。また当初は予定されてなかった泉の登場は、満男を主役にしたサブストーリーに満男の恋の相手が必要になったためである。ちなみに山田監督の話によれば第49作で泉と満男を結婚させようと考えていたらしいが、渥美の死去により幻になった。(「紅の花」で泉の結婚式を妨害し結婚式を中断させたのは結婚への伏線であったとも考えられる。)
レギュラーとして登場した人物は、寅次郎、さくらのほか、さくらの夫・諏訪博、草団子店を経営する叔父・竜造と叔母・つね、博が勤務する印刷会社「朝日印刷(第一作、第二作のみ共栄印刷)」の社長で寅次郎の幼馴染・タコ社長こと桂梅太郎(第六作のときにだけ堤梅太郎と名乗る)、帝釈天の御前さま、寺男で寅次郎の舎弟・源公などがいた。マドンナとして複数回登場した女優もいるが、リリー、泉と歌子(吉永小百合)以外は、別の役で出演している。おいちゃんこと叔父・竜造役は初代が森川信、2代目は松村達雄、3代目は下條正巳が演じた。その他、毎回役柄は違うものの、サブキャラクターとしてレギュラー出演する俳優も多く存在した。
テキ屋稼業の寅次郎は、柴又に帰るのは数えるほどしかなく、一年中日本各地を旅している。青年時代に実際にテキ屋体験がある渥美ならではの見事な口上も、ファンの楽しみであった。また、このシリーズは原則としてお盆と正月の年二回公開されたが、お盆公開の映画の春から夏への旅は、南から北へ、正月公開の秋から冬への旅は、北から南へ旅することが多かった。画面に映し出される日本各地の懐かしい風景がシリーズの魅力の一つでもある。
なお第48作まで一貫してエンドロール表示は設定されず、出演キャストや製作スタッフ等の字幕表示はオープニングでされた。
エピソード[]
- 日本では大変人気の高い作品で熱心なファンが多い。
- 寅さんファンクラブ会員No.1は元内閣総理大臣の小渕恵三。昭和天皇も大ファンで、ビデオソフトを全巻持っていたらしい。
- 小澤征爾も映画館で寅さん腹巻を購入したほどの大ファン。
- 『こちら葛飾区亀有公園前派出所』の作者秋本治も大の寅さんファンで、作中に寅さんを登場させたこともある。DVDも全巻持っている。「両さんと歩く下町」という本の中で、山田洋次監督との対談が収録されている。両津勘吉と車寅次郎は「東京葛飾出身」「実家は自営業」「一年中素足にサンダル」「胴長短足、一重まぶた」「幼少期は悪ガキでガキ大将だった」「性格は一見粗暴だが、人情に厚い」「モテない」「大酒飲み」「兄に比べて極めて常識的で優秀な弟(妹)がいる」など共通点は数多い。こち亀劇中でも「寅さん」のオマージュとみられるシーンは多数見られ、それは特に作品初期に多い。こういった人物像は、人情味あふれる東京下町で生活する、どこか懐かしく、それでいておかしみのある生活を送る人々の風情のなかに描かれることが多く、それが「男はつらいよ」や「こち亀」が広く日本人に親しまれる大きな要素となっている。寅さん亡き後、葛飾区民などが両さんを「ポスト寅さん」として期待していた。ちなみにアニメ版こち亀の第6話放送日の日に渥美がこの世を去っていた。
- 漫画家のさくらももこもファンで、『ちびまる子ちゃん』でもまるこ達が見た映画の中で寅さんが登場し、友蔵(おじいちゃん)の台詞にも登場している。
- 北朝鮮の金日成や金正日がファンであるという報道もされたことがある。
- 御前様役を演じていた笠智衆は第45作終了直後に亡くなっているためキャストロールからも名前が消えている。だが笠演じる御前様の娘・冬子役としてかつて出演していた光本幸子が第46作で久々に出演しており、さくらと冬子が二人で御前様の近況の会話をする描写があるほか、さくらが源公に「御前様お元気?」と聞くシーンもあり、笠智衆が亡くなっても、御前様は健在であるという設定になっている。
- フジテレビで、登場人物を動物に置き換えたテレビアニメ版『フーセンのドラ太郎』が放送された。また、TBSでもテレビアニメ版が放送され、映画シリーズに出演したことがある岡本茉利がさくら役になっている。それぞれ制作会社も制作時期も異なり、特別な関連性はない。
- 渥美清没後10年の命日を記念して掲載された2006年8月4日の北日本新聞のコラム「天地人」によると、山田洋次監督は寅さんの最期を決めていたという。晩年は幼稚園の用務員になり、子供達と遊んでいるうちに死に、町の人が思い出のために地蔵を作るというもので、最後のマドンナには黒柳徹子を考えていたらしい。
- 映画の制作上は寅次郎とその血縁者が在日ないしは帰化韓国・朝鮮人であるという設定は存在しないが、渥美清自身は寅次郎の出自をそのように捉えていたとする発言がある。永六輔の回想によると、渥美は「寅さんのラストシーンはアリランを歌いながら釜山に帰りたい」と語っていたという[2]。
- 源公役の佐藤蛾次郎は、第8作のみ、交通事故にあったため出演していない。
- 「とらや」の屋号は、第40作から「くるまや」に変わる。これは映画の舞台である柴又にあった団子屋が「とらや」と名称を変更してしまったためである。
- 柴又の店舗で撮影されていたのは4作目まででそれ以降は松竹大船撮影所のセットである。
- 出川哲朗は若手時代に、37、39作の2本にチョイ役で出演している。37作目では台詞も一言だけある。本人のコメントによると、撮影現場で渥美清に「君は普段何をしてるのかね?」と尋ねられたと言う。
- 第46作には、本作と同時上映として製作されていた『釣りバカ日誌』の主人公である、西田敏行演じるハマちゃんがカメオ出演。釣具を背負ったハマちゃんが釣りに向かう途中にくるまやの前を通り、おばちゃんと会話を交わすというもので、松竹の二大シリーズ間でスター・システムを取り入れている。
- 平成13年8月4日、奇しくも渥美清の5回目の命日に、柴又八幡神社古墳において帽子や顔の輪郭などが「寅さん」にそっくりの埴輪が出土した。現在は複製として寅さん記念館に展示してある。このことはトリビアの泉でも紹介された。考古学者によるとこの埴輪は6世紀のものであるといい、この埴輪を見た山田監督は驚いたという。新聞で紹介された時は「君は寅さんのご先祖様かい?」という見出しがついた。
- さくらと博が住む川沿いの家は、毎回同じではなく変わっている。
- 正月映画としての公開が毎年の恒例だったことから、「寅さん」は冬の季語にもなっている(2007年1月8日放送芸能人雑学王決定戦より)。
- 長野県小諸市には、寅さん会館という、寅さんの記念館がある。
- 京成電鉄は初回より撮影に協力。鉄道事業者では初めて鉄道施設内での撮影を可能とした。
- 渥美の死去により、二代目寅さんの誕生が噂された。片岡鶴太郎や西田敏行らが候補とされた。これは噂の域にとどまらず、実際に報道もされたが、「寅さん=渥美清」という山田監督の意向もあってお蔵入りとなっている。1996年・1997年には、男はつらいよシリーズに代わる新たな松竹正月映画として、西田主演、山田監督、寅さんファミリーと呼ばれる常連出演者勢ぞろい、男はつらいよとほぼ同じスタッフが参加した『虹をつかむ男』が公開された。その後の松竹の看板正月映画は、1988年から続いている、西田主演で山田洋次が脚本家としても携わる『釣りバカ日誌』シリーズに受け継がれる事となる。
出演[]
レギュラー[]
- 車寅次郎:渥美清
- 諏訪さくら:倍賞千恵子
- 諏訪博:前田吟
- 車竜造(おいちゃん):森川信(第1作~第8作)→松村達雄(第9作~第13作)→下條正巳(第14作~第48作)
- 車つね(おばちゃん):三崎千恵子
- 諏訪満男:中村はやと(第1作~第8作、第10作~第26作、ただし第9作のみ沖田康浩)→吉岡秀隆(第27作~第48作)
- 桂梅太郎(社長・タコ社長):太宰久雄
- 御前様:笠智衆(第1作~第45作)
- 源公:佐藤蛾次郎(第8作を除く)
準レギュラー[]
- 川又登(寅次郎の舎弟):津坂匡章(現・秋野太作)(第1作~第5作、第9作~第10作、第33作)
- 坪内冬子(御前様の娘/マドンナ):光本幸子(第1作、第7作、第46作)
- 諏訪飈一郎(博の父):志村喬(第1作、第8作、第22作)
- リリー(マドンナ):浅丘ルリ子(第11作、第15作、第25作、第48作)
- お菊(寅次郎の母):ミヤコ蝶々(第2作、第7作)
- 桂あけみ(タコ社長の娘):美保純(第33作~第39作)
- 及川泉(満男の交際相手/マドンナ):後藤久美子(第42作~第45作、第48作)
- 及川礼子(泉の母):夏木マリ(第42作~第45作、第48作)
- 三平(くるまやの店員):北山雅康(第40作~第48作)
- 加代(くるまやの店員):鈴木美恵(第46作~第48作)
サブキャスト[]
- 関敬六(シリーズ後半からは、寅のテキヤ仲間・ポンシュウ役)
- 桜井センリ(寅のテキヤ仲間など)
- 松村達雄(おいちゃん役の他に医者、定時制高校の教師、お寺の住職、教授役など)
- 米倉斉加年(交番の巡査、寅の恋敵役など)
- 笹野高史(役所の事務員ほか多数)
- すまけい(船長役など多数)
- 犬塚弘(同級生役など)
- イッセー尾形(医師、車掌役など)
- マキノ佐代子
- 谷よしの(主に地方の老婆役)
- 吉田義夫(旅の一座の座長役など)
- 岡本茉利
- あき竹城
- 津嘉山正種
- 石井均
- アパッチけん
- 神戸浩
- 寺尾聰(泉の父役など)
- 石倉三郎
- 大滝秀治
シリーズ一覧[]
作数 | 公開時期 | タイトル | マドンナ | ロケ地 |
---|---|---|---|---|
1 | 1969年8月 | 男はつらいよ | 光本幸子 | 京都府、奈良県 |
2 | 1969年11月 | 続・男はつらいよ | 佐藤オリエ | 京都府、三重県(柘植) |
3 | 1970年1月 | 男はつらいよ フーテンの寅 | 新珠三千代 | 三重県(湯の山温泉)、鹿児島県(種子島) |
4 | 1970年2月 | 新・男はつらいよ | 栗原小巻 | 愛知県(名古屋市) |
5 | 1970年8月 | 男はつらいよ 望郷篇 | 長山藍子 | 千葉県(浦安市)、北海道(札幌市、小樽市) |
6 | 1971年1月 | 男はつらいよ 純情篇 | 若尾文子 | 長崎県(長崎市、福江島)、静岡県(浜名湖) |
7 | 1971年4月 | 男はつらいよ 奮闘篇 | 榊原るみ | 新潟県(越後広瀬)、静岡県(沼津市)、青森県(鰺ヶ沢町、弘前市) |
8 | 1971年12月 | 男はつらいよ 寅次郎恋歌 | 池内淳子 | 岡山県(備中高梁) |
9 | 1972年8月 | 男はつらいよ 柴又慕情 | 吉永小百合 | 石川県(金沢市)、福井県(東尋坊) |
10 | 1972年12月 | 男はつらいよ 寅次郎夢枕 | 八千草薫 | 山梨県(甲府市)、長野県(奈良井) |
11 | 1973年8月 | 男はつらいよ 寅次郎忘れな草 | 浅丘ルリ子 | 北海道(網走) |
12 | 1973年12月 | 男はつらいよ 私の寅さん | 岸惠子 | 熊本県(天草、阿蘇)、大分県(別府) |
13 | 1974年8月 | 男はつらいよ 寅次郎恋やつれ | 吉永小百合 | 島根県(津和野、温泉津) |
14 | 1974年12月 | 男はつらいよ 寅次郎子守唄 | 十朱幸代 | 佐賀県(唐津市)、群馬県(磯部温泉)、埼玉県 |
15 | 1975年8月 | 男はつらいよ 寅次郎相合い傘 | 浅丘ルリ子 | 青森県(青森市)、北海道(函館市、長万部町、札幌市、小樽市) |
16 | 1975年12月 | 男はつらいよ 葛飾立志篇 | 樫山文枝 | 山形県(寒河江市)、静岡県 |
17 | 1976年7月 | 男はつらいよ 寅次郎夕焼け小焼け (仮タイトルは「男はつらいよ 柴又の伊達男」) |
太地喜和子 | 兵庫県(龍野市) |
18 | 1976年12月 | 男はつらいよ 寅次郎純情詩集 | 京マチ子 | 長野県(別所温泉)、新潟県(六日町) |
19 | 1977年8月 | 男はつらいよ 寅次郎と殿様 | 真野響子 | 愛媛県(大洲市) |
20 | 1977年12月 | 男はつらいよ 寅次郎頑張れ! | 藤村志保 | 長崎県(平戸島) |
21 | 1978年8月 | 男はつらいよ 寅次郎わが道をゆく | 木の実ナナ | 熊本県(田の原温泉) |
22 | 1978年12月 | 男はつらいよ 噂の寅次郎 | 大原麗子 | 長野県(木曽福島)、静岡県(大井川) |
23 | 1979年8月 | 男はつらいよ 翔んでる寅次郎 | 桃井かおり | 北海道(支笏湖) |
24 | 1979年12月 | 男はつらいよ 寅次郎春の夢 | 香川京子 | 和歌山県、京都府、アメリカ合衆国(アリゾナ州) |
25 | 1980年8月 | 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 | 浅丘ルリ子 | 沖縄県、長野県(軽井沢) |
26 | 1980年12月 | 男はつらいよ 寅次郎かもめ歌 | 伊藤蘭 | 北海道(奥尻島・江差町)、徳島県 |
27 | 1981年8月 | 男はつらいよ 浪花の恋の寅次郎 | 松坂慶子 | 大阪府、瀬戸内、佐賀県(対馬) |
28 | 1981年12月 | 男はつらいよ 寅次郎紙風船 | 音無美紀子 | 福岡県(秋月)、大分県(夜明)、静岡県(焼津市) |
29 | 1982年8月 | 男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋 | いしだあゆみ | 京都府(京都市、伊根)、長野県(信濃大町)、神奈川県(鎌倉市)、滋賀県(彦根市) |
30 | 1982年12月 | 男はつらいよ 花も嵐も寅次郎 | 田中裕子 | 大分県(湯平温泉、別府鉄輪温泉、湯布院) |
31 | 1983年8月 | 男はつらいよ 旅と女と寅次郎 | 都はるみ | 新潟県(佐渡市、新潟市、支笏湖) |
32 | 1983年12月 | 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎 | 竹下景子 | 岡山県(備中高梁)、広島県(因島) |
33 | 1984年8月 | 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎 | 中原理恵 | 岩手県(盛岡市)、北海道(釧路市、根室市、中標津町、養老牛温泉) |
34 | 1984年12月 | 男はつらいよ 寅次郎真実一路 | 大原麗子 | 鹿児島県(枕崎市・指宿市)、茨城県(牛久沼) |
35 | 1985年8月 | 男はつらいよ 寅次郎恋愛塾 | 樋口可南子 | 長崎県(上五島)、天草市、秋田県(鹿角市) |
36 | 1985年12月 | 男はつらいよ 柴又より愛をこめて | 栗原小巻 | 静岡県(下田)、東京都(式根島)、静岡県(浜名湖)、福島県(会津若松市) |
37 | 1986年12月 | 男はつらいよ 幸福の青い鳥 | 志穂美悦子 | 福岡県(筑豊)、山口県(萩市) |
38 | 1987年8月 | 男はつらいよ 知床慕情 | 竹下景子 | 北海道(斜里町) |
39 | 1987年12月 | 男はつらいよ 寅次郎物語 | 秋吉久美子 | 奈良県(吉野)、和歌山県、三重県(志摩市、伊勢市二見町) |
40 | 1988年12月 | 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日 | 三田佳子 | 長野県(小諸市、松本市)、長崎県(島原市) |
41 | 1989年8月 | 男はつらいよ 寅次郎心の旅路 | 竹下景子 | オーストリア(ウィーン)、宮城県(松島)、石川県 |
42 | 1989年12月 | 男はつらいよ ぼくの伯父さん | 後藤久美子 | 佐賀県(佐賀市、古湯温泉、吉野ヶ里)、茨城県(袋田) |
43 | 1990年12月 | 男はつらいよ 寅次郎の休日 | 夏木マリ | 大分県(日田市)、愛知県(名古屋市) |
44 | 1991年12月 | 男はつらいよ 寅次郎の告白 | 吉田日出子 | 鳥取県、岐阜県(奥恵那峡・蛭川) |
45 | 1992年12月 | 男はつらいよ 寅次郎の青春 | 風吹ジュン | 宮崎県(油津)、岐阜県(下呂温泉) |
46 | 1993年12月 | 男はつらいよ 寅次郎の縁談 | 松坂慶子 | 香川県(琴平・志々島・高見島)、栃木県(烏山) |
47 | 1994年12月 | 男はつらいよ 拝啓車寅次郎様 | かたせ梨乃 | 新潟県(上越市)、滋賀県(長浜、西浅井町)、神奈川県(鎌倉市)、長崎県(雲仙) |
48 | 1995年12月 | 男はつらいよ 寅次郎紅の花 | 浅丘ルリ子 | 鹿児島県(奄美大島)、岡山県(滝尾・津山)、兵庫県(神戸市) |
特別編 | 1997年12月 | 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇 | 浅丘ルリ子 | 沖縄県 |
お蔵入り作品[]
- 1996年12月28日公開予定 『男はつらいよ 寅次郎花へんろ』 マドンナ:田中裕子 ロケ地:高知県
- 1997年12月公開予定 タイトル不明 マドンナ:黒柳徹子 ロケ地:未定
シリーズのロケ地[]
「男はつらいよ」シリーズの撮影はほぼ全国で行われているが、高知県と富山県では撮影が行われていない。 ただし、高知県では49作目の撮影が決定していた。また、セリフ上では第8作で高知へ行ったということになっている。なので寅さんと縁がなかったのは富山県だけということになる。
高知県、富山県共に後に男はつらいよ以後松竹の看板として国民的映画シリーズになった釣りバカ日誌では連続して撮影が行われた。
海外撮影はアメリカ(24作)、オーストリア(41作)で行われた。
寅次郎花へんろと虹を掴む男[]
シリーズ49作目のマドンナは田中裕子で、その兄役で西田敏行が出演の予定だった。物語は、妹が中絶した子供の父親が寅さんでは無いかと兄が疑い、それから寅さんがこの兄妹の後見人になる、また泉と満男を結婚させる、というものだったらしい。公開日は1996年12月28日と決まり、秋からの撮影を控えていた。「渥美清の伝言」によると1996年6月28日に秋から始まる撮影に向けて意欲を燃やしていて、誰もが制作できると思っていたらしい。しかし、渥美の死去により実現しなかった。
そこで、公開するはずだった1996年12月28日にほぼ同じキャスト、ロケ地で虹をつかむ男が渥美清への追憶映画として公開された。倍賞千恵子、前田吟、吉岡秀隆の三人はこの映画でも親子役である。渥美清もCGではあるが1シーンだけ登場している。
寅次郎ハイビスカスの花 特別篇[]
1997年に公開された「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」は、根強い寅さん人気に応える形で作られた作品である。満男が寅さんを回想する内容で、タイトルになっている25作目「寅次郎ハイビスカスの花」だけではなく、11作目「寅次郎忘れな草」、15作目「寅次郎相合い傘」のシーンが使われている。映像技術の進歩によって作る事が出来た作品とも言え、満男が見た幻としてCGの寅さんが登場した。主題歌を八代亜紀が歌っている。
主題歌[]
主題歌レコードは1970年2月に日本クラウンから発売され、シングルで38万枚のセールスを記録した[3]。売り上げこそ平凡だが、映画の主題歌としては息の長い曲となった。
当初の歌い出しは、妹が嫁に行けない事を嘆く内容だったが、妹さくらが結婚したため、自分がやくざ者だと自嘲する歌詞に変更された。
沢知恵がアルバム「いいうたいろいろ2」の中でカバーしている。 49作目「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」では、八代亜紀が主題歌を歌っていた。
- 「男はつらいよ」
- 作詞:星野哲郎
- 作曲:山本直純
- 歌:渥美清
テレビ版[]
映画第1作の前に、1968年10月3日から1969年3月27日までの半年間、26回にわたり、山田洋次・森崎東脚本のテレビドラマ「男はつらいよ」が放映されていた。提供は日本石油(現・新日本石油)。
テレビ版の制作と放送はフジテレビで、企画と演出は小林俊一。テレビ版のキャストは映画版とは多少異なる。最終回で寅次郎はハブ狩りで一儲けしようと奄美大島に出かけるが、そのハブに噛まれて毒死してしまう。寅次郎を死なせたことについて視聴者からテレビ局に抗議の電話が殺到し、これが映画化に繋がった。当初、松竹は映画化に反対だったが、山田洋次の説得に折れる形で映画化された。映画自体は1969年6月には完成していたらしいが、一時お蔵入りとなり、8月になってから上映された。
当初は「愚兄賢妹」という番組名が考えられていたが、フジテレビから「それでは堅苦しい」と言われタイトルを変更することになり、小林俊一が「男はつらいよ」と命名した。これは、その頃渥美清主演で放映されていたTBS系列ドラマ「泣いてたまるか」の山田洋次脚本による最終回のタイトルが「男はつらい」だったことと、北島三郎が唄っていた「意地のすじがね」の中にあった「つらいもんだぜ男とは」という歌詞から思いついたとされている。後者の経緯から、「意地のすじがね」の作詞者でもあった星野哲郎に主題歌の作詞が依頼された。
渥美の死去を速報で報じた「ビッグトゥデイ」でタイトルバックとハブに噛まれたシーンなどが放送されたのがきっかけとなり、後日初回と最終回が番組内で全編放送された。翌1997年にはビデオ化され発売された。なおテレビ版は初回・最終回しか現存していない。テレビ版が放送された当時は、VTRが2インチ規格で高価なうえ操作も煩雑だったことや、著作権法の関係で番組の保存が著しく制約されていたことなどから、テレビ界全体に番組保存の概念が希薄だったことが理由であると推測される。
テレビ版のキャスト[]
- 車寅次郎:渥美清
- さくら(櫻):長山藍子
- 車竜造(おいちゃん):森川信
- 車つね(おばちゃん):杉山とく子
- 雄二郎(※自称・寅の実弟。タネ違いの弟。):佐藤蛾次郎
- 諏訪博士、(医師):井川比佐志
- 坪内散歩(英語の先生、寅の恩師):東野英治郎
- 坪内冬子(マドンナ・寅とさくらの幼馴染):佐藤オリヱ
- さくらの恋人、鎌倉ミチオ:横内正
- 冬子の恋人:加藤剛
- 川又登(寅の舎弟でとらやの従業員):津坂匡章
アニメ版[]
渥美清没後2年の命日を記念して1998年8月7日午後7時、高井研一郎作画のコミック版を元に、シリーズ11作の「男はつらいよ 寅次郎忘れな草」を参考にした「アニメ 男はつらいよ~寅次郎忘れな草~」がTBS系列で放映された。
視聴率は7.1%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、TBSの予想よりは不振に終わった。
制作:エイケン
キャスト[]
- 車寅次郎:山寺宏一
- 諏訪さくら:岡本茉利
- 諏訪博:大塚芳忠
- リリー松岡:冬馬由美
関連番組[]
- 「BSスペシャル 渥美清の寅さん勤続25年」(1995年1月15日放送)
- 「クローズアップ現代 寅さんの60日」(1995年12月11日放送)
本作品に影響を受けたキャラクターが登場する作品[]
- ゲゲゲの鬼太郎 - ねずみ男が寅さんと同様の格好をして放浪する回がある。その際寅さんとおなじみのセリフをこぼす。
- きらりん☆レボリューション - 寅さん似た格好をしているふーさんが登場している。
- ドラえもん - 寅さんをモチーフにしたと思われる虎猫ロボットのトラえもんが登場している。またドラえもんも作中でのび太と喧嘩した際に寅さんのおなじみのセリフをこぼす。
- かいけつゾロリ - 寅さんに似た設定のキャラクターが89話に登場した。またタコ社長、サクラ、おいちゃん、おばちゃんに似たキャラクターも登場している。
- 魔弾戦記リュウケンドー - 随所に本作へのオマージュが散りばめられており、特に登場人物の一人・ガジローは佐藤蛾次郎が演じた源公そのままのキャラクターで、佐藤の実子・佐藤亮太が演じた。
- サラリーマンNEO - キャラシリーズに渥美トラ次郎という虎模様の猫がいる。渥美と寅次郎をかけたものである。
脚注[]
- ↑ 寅次郎忘れな草、寅次郎相合い傘、寅次郎ハイビスカスの花の3作
- ↑ 文藝春秋2007年8月号、永六輔『TVが王様「恥ずかしい国・日本」』
- ↑ 作詞家・星野哲郎氏が語る「男はつらいよ」(インターネット・アーカイブのミラー)
関連項目[]
- 柴又帝釈天
- 啖呵売
- 的屋
- 虹をつかむ男
- フーセンのドラ太郎
- 松竹
- 松竹大船撮影所
- 釣りバカ日誌 - 『男はつらいよ』以後の松竹を代表するシリーズ
- 野口よういち-寅さんの格好、ものまねにより柴又のガイドをしている芸人。
外部リンク[]
公式サイト[]
- 寅さんの世界 - 松竹
関連サイト[]
- 柴又帝釈天門前 とらやごく初期の頃、撮影に使った和菓子店(撮影当時の屋号は“柴又屋”)
- 高木屋のホームページ映画撮影に積極的に協力していただんご屋
- 葛飾柴又寅さん記念館
- 江戸川寅次郎国土交通省江戸川河川事務局
研究サイト[]
コミュニティサイト[]
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