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秋元 康(あきもと やすし、1958年5月2日 - )は、日本放送作家脚本家映画監督作詞家作家漫画原作者プロデューサータレント京都造形芸術大学副学長芸術学部教授。ただし、本人による肩書きは「作詞家」のみ。日本映画監督協会会員。自身が取締役を務め妻が監査役を務める株式会社秋元康事務所に所属。東京都目黒区出身。

人物 編集

中央大学附属高等学校2年生だった1975年の冬、受験勉強に集中できず何気なくニッポン放送せんだみつおの足かけ二日大進撃!」を聴いていたところ、『この程度なら自分にも書ける』と受験勉強用に用意したはずのノート20数ページに渡ってせんだを主人公とした平家物語のパロディーを書き上げた。同級生の友人の薦めによりそのノートをニッポン放送へ送ったところ、当時ニッポン放送社員であった亀渕昭信大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属していた奥山侊伸の目に止まりその才能を見出され、ニッポン放送へ遊びに来るように言われ出入りするようになるうち、奥山の弟子となり大橋巨泉事務所の放送作家グループに所属。当時17歳の高校生でありながら放送作家として活動を開始したのがこの業界に入ることになったきっかけとされる。

高校卒業後は中央大学文学部へ進学したが、放送作家としての活動は継続しており、大学にはほとんど通っておらず単に籍を置いていただけであった。やがて、放送作家一本で生きていくことを決意、大学は中退している。後に、高校生・大学生としては異例なほどの収入があったと当時のことを回想している。

その後、放送作家に物足りなさを感じていたところ、筒美京平作曲した稲垣潤一が歌唱する楽曲に作詞する機会を得て、初めて作詞に挑戦した「ドラマティック・レイン」が正式採用となり、シングル発売。これを機に、作詞家としても活動を開始するようになる。

放送作家・作詞家になったきっかけやエピソードについては、1988年発刊の自伝小説「さらば、メルセデス」にて書き上げている。

放送作家として「オールナイトフジ」「夕やけニャンニャン」を手がけ、とんねるずおニャン子クラブの仕掛人としても知られる。また、作詞家としてとんねるず、おニャン子クラブなど数多くのアーティストの楽曲の作詞を手がけるほか、作家、映画監督など多くの分野でも活躍している。

2005年4月、京都造形芸術大学芸術学部教授に就任。2007年4月1日より同大学副学長に就任した(任期は2007年より2年間)。

メディア多方面に出演するため知名度は高く、作詞家でありながら好みの分かれる人物である。

作詞家
小説家、映画監督
  • 放送作家、作詞家活動以外に、小説映画監督ドラマ脚本などを手がける。また構成作家として番組参加をしていた夕やけニャンニャン出演時には「天才!秋元康の〜」とタイトルがつく自分がメインのコーナーを持っていた。
  • 映画監督あるいは企画者として、手堅いキャストに当時のトレンドを盛り込んだ多くの作品を世に送り出した。
  • 小説家としては、恋愛物を得意としていたが、産経新聞紙上に連載され、2006年単行本として出版された『象の背中』で、従来の著作から大きく飛躍し、作家としての力量と才能を改めて示した。末期の肺癌で、余命半年と診断された48歳会社サラリーマンの心情と生き方を描いた本作は話題を呼んだ。
エッセイ
  • 恋愛に関しては、独特のスタンスを一人で懐き、恋愛に関するエッセイや、恋愛論を語る自らのラジオ番組などで、持論を展開している。
プロデュース業

エピソード 編集

長渕剛とは、長渕が初めてのラジオパーソナリティーを担当した番組の、放送作家であった、当時は放送中にも関わらず、番組構成などで意見がぶつかり喧嘩なども放送中にしていた、同世代ともあって、現在は二人で飯を食う間柄である。長渕は秋元の事を戦友と語っている。

また、SHOW-YAの作詞を手がけた事もあるものの、寺田恵子との言い争いになったことも。

とんねるず石橋貴明に喫茶店で「作詞とは・・」と偉そうに話していたところ、近くのテーブルに松本隆がいて、恥ずかしい思いをしたことがある。

後藤次利が作曲を手がけると「ゴールデンコンビ」といわれている。ちなみに、後藤の現在の妻は麻巳子夫人のかつての同僚・河合その子

1988年5月23日、元おニャン子メンバーの中でも、トップクラスの人気を誇っていた高井麻巳子との電撃結婚が突如発表され、高井はそのまま芸能界から引退する。高井のファンクラブが結成された直後でもあったため、彼女のファンから少なからぬ非難の声が上がった。“プロデュースしているタレントに手を出した”というイメージがファンの間に広がり、おニャン子ファンから相当な恨みを買ったが(自家用車に『こぶ平』といたずら書きされるなど)、真相は全くの逆で、むしろ高井の方が結婚に積極的であったという事が、高井の親友である斉藤由貴のエッセイに述べられている。ちなみに当時の秋元と同じスタンスで活躍しているつんく♂に対し、「最終的にはモーニング娘。の誰かと結婚しろ」というアドバイスを送ったという(しかしつんく♂が実際に結婚したのはモーニング娘。のメンバーではない)。

作詞家デビュー前には、相談も兼ねて歌詞をやしきたかじんに見せたところ「全然アカン、話にならん。もって帰れ」とこき下ろされた。たかじんに言わせると「単なる文章であって歌詞とは言えない」という評価であった。しかし、結局その歌詞の中からヒットする作品が出て、たかじんも「えらいことした。あの中からなんぼかもうといたらよかったな」と話の種にしている。秋元自身も「たかじんさんはこだわりが強いから、納得できる歌詞を書くのは至難の業」と言っている。また、この時には歌詞を見せただけではなく、たかじんによると秋元は「このまま放送作家だけを続けていても、せいぜい一千万や数千万の収入で天井が見えている。自分はこのままで終わりたくない。」という趣旨の相談をしてきたという。

サンデー毎日での連載で「我々の仕事は不安定な上に潰しが利かない。我々のようなレベルの人間でもいつ仕事がなくなるか不安を抱いている」と著述した事もあった。

2007年9月30日放送の毎日放送情熱大陸にて「自分は天才でもアーティストでも芸術家でもない。ピカソになりたい広告代理店マン。でもピカソになりたいと思った時点でピカソにはなれない。」とコメントしている。

みんなのうた1981年から10年間流れていたおふろのうたは彼の若かりしころの作品である。

1987年頃、青山で「うんこや」と言う名前のオシャレで小さな和食パブを開いた事がある。箸置きがうんこの形をしていて「my箸」をキープできた。「食と排泄は切っても切れない関係ですからね、だからあえて・・・」という、説明をしていたが、僅かな期間で閉店している。

本人の語るところによると、東京大学へ入学し、官僚を経て、天下り人生を謳歌しようと考え、開成中学校を受験したが不合格、のちに高級官僚になるべく中央大学法学部への進学を希望したが、放送作家となり多忙な高校生活を送るうち、中央大学附属高等学校からの内部進学が果たせなかったと言う。

著書 編集

映画 編集

作詞した楽曲 編集

あ行編集

か行編集

さ行編集

  • SALLY
    • 愛しのマリア
    • ルーシー、今夜だけは…
  • 三代目コロムビア・ローズ
    • 夢のバスガール
  • ジェロ
    • 海雪
  • 柴咲コウ
    • いくつかの空
  • 少女隊
    • 素直になってダーリン
    • Bye-Byeガール
    • ハレーロマンス
    • もっとチャールストン
    • バランスシート
    • ナポレオンのくしゃみ
    • 月のうさぎが泣いた
    • SAKASAMA
    • アドベンチャー・アイランド
    • GRADUATION LOVE
    • BABY’S ROCK
    • RING OF THE MEMORY
    • UNTOUCHABLE
    • FLY TO ME!
    • KITCHEN PATROL
    • MY LOVER
    • FRIDAY LOVE SONG
    • 象使いのインド人
    • 開けテレビジョン!!
    • TOKYO YAJIUMA CLUB
    • BREAK AWAY
    • 仲間はずれだね
  • 城之内早苗
  • 少年隊
    • デカメロン伝説
    • 湾岸スキーヤー
  • 青春愚連隊
    • マサオ
  • JULEPS(ジュレップス)
    • 旅立つ日
    • 皆既日食
  • 杉浦幸
    • 4月列車
    • 私がいない
  • 杉山清貴
    • 僕の腕の中で
  • 杉山清貴&オメガトライブ
    • ROLLING MEMORIES
    • JOANNA
    • 愛を巻き戻して
    • FAREWELL CALL

た行編集

な行編集

は行編集

ま行編集

や行以降編集

テレビドラマ脚本 編集

出演番組 編集

関連項目(過去のものも含む) 編集

外部リンク 編集


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