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風の歌を聴け(かぜのうたをきけ)は

  1. 村上春樹の小説。本項で詳述する。
  2. 日本のバンドオリジナル・ラヴ1994年にリリースした4thアルバム。



テンプレート:文学風の歌を聴け』 (かぜのうたをきけ) は、村上春樹の第一作となる長編小説

概要 編集

群像新人文学賞を受賞し、1979年6月、文芸誌『群像』に発表。同年、芥川賞上半期の候補作品にノミネートされている。「僕と鼠もの」シリーズの第一作。同名タイトルで映画化もされている。

神宮球場ヤクルトスワローズ戦を観戦中に思い立ち、真夜中1時間ずつ4か月間かけて書いたという、まったくの処女作である[1]。執筆当初の仮題は「ハッピー・バースデイ、そして、ホワイト・クリスマス」で、これは表紙の上部に小さく英語で書かれている。当時の村上春樹と同じく1978年に29歳になった「僕」が、1970年21歳の時の8月8日から8月26日までの19日間の物語を記す、という形をとり、40の断章と、虚構を含むあとがきから成る。

2005年現在、単行本・文庫本を合わせて180万部以上が発行されている。

評価 編集

群像新人賞を受賞し出版された当時、出版元になった講談社の編集内部や賞の審査委員からは非常に高い評価を受けると共に、小説として体をなさないという非常に低い評価も受けていた[2]

テンプレート:ネタバレ

ストーリー 編集

20代最後の年を迎えた「僕」は、アメリカの作家デレク・ハートフィールドについて考え、文章を書くことはひどく苦痛であると感じながら、1970年夏休み物語を語りはじめる。

「僕」は東京の大学の3年生で、故郷の海辺の街に帰省し、友人の「」とジェイズ・バービールを飲みながら退屈な時間を過ごしていた。ある晩、「僕」はジェイズ・バーの洗面所で酔いつぶれていた小指のない女の子を介抱し、彼女の部屋で一夜を明かしたことで卑劣漢となじられる。数日後、ラジオDJから電話で、高校時代のクラス・メイトの女の子からビーチ・ボーイズの『カリフォルニア・ガールズ』をプレゼントされたことを告げられ、そのLPを買いに行ったレコード屋で小指のない女の子と再会する。誤解は解け、やがて親しくなるが、彼女は行き先を告げずに旅に出る。一方、鼠は調子を悪くし、「僕」に何かを相談したがっていたが、なかなか切り出すことができない。鼠は大学をやめて小説を書こうとしていたのだ。再会した小指のない女の子は、旅に出たというのは嘘だと言う。彼女は堕胎してきたばかりだと語り、「僕」とは何もないまま別れる。そして夏休みは終わり、「僕」はバスに乗って東京へ帰る。

「僕」が次の休みに街に戻ったときに彼女の姿はどこにもなく、二度と会うことはできなかった。現在「僕」は東京で暮らしており、鼠は街に住んで小説を書き続けている。時はそのように過ぎてゆき、誰にも止めることはできない。

登場人物 編集

作中の書き手であり語り手1948年12月24日生まれ(村上は1949年1月12日生まれ)。大学では生物学専攻。
9月生まれ。「僕」と大学入学の年に出会い、チームを組んだ。金持ちだが、金持ちを憎んでいる。愛車はフィアットトライアンフ
ジェイ
ジェイズ・バーバーテンダー。中国人。
小指のない女の子
1月10日生まれ。8歳の時に左手の小指をなくした。双子の妹がいる。レコード店で働いている。
高校時代のクラス・メートの女の子
高校時代、ビーチ・ボーイズ『カリフォルニア・ガールズ』のLPを貸してくれた。ラジオのリクエスト番組で同曲を「僕」にプレゼントする。1970年3月、大学を病気療養のため退学している。
病気の女の子
17歳。脊椎の神経の病気で、3年間寝たきりの生活を送っている。
病気の女の子の姉
妹の看病のため大学を退学している。
デレク・ハートフィールド
エンパイアステートビルディングから飛び降り自殺した作家。「僕」は文章の多くを彼に学んだ。
3人の叔父
1人は、デレク・ハートフィールドの本を僕にくれた。その3年後に腸の癌で死亡。1人は、終戦の2日後上海にて自分で埋めた地雷を踏み死亡。1人は、手品師として全国の温泉地を回っている。
僕が寝た3人の女の子
1人目は、高校のクラスメイト。高校を卒業し、数ヶ月後に別れる。2人目は、地下鉄の新宿駅で出会った16歳のヒッピー。一週間ばかり僕のアパートに居候し、去る。3番目の女の子は、大学の図書館で知り合った仏文科の学生。翌年の春休みに林で首を吊って自殺する。
NEBラジオのDJ
物語の筋とは特に関係ないが、随所で登場する。

映画化作品 編集

概要 編集

1981年製作。監督の大森一樹は、村上と同じ芦屋の出身で、中学校の同窓生でもある。原作小説のストーリーをなぞりつつも、神戸まつり事件神戸行き高速バスの廃止[3]、双子の姉妹や鼠の女や父親など独自のエピソードを加えている。

スタッフ 編集

キャスト 編集

声の出演

関連項目 編集

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  1. ただし、村上は陽子夫人の「つまらない」という感想に従って、頭から全体的に書き直している。村上春樹『「これだけは、村上さんに言っておこう」』朝日新聞社、2006年、141-142ページ。
  2. 村上春樹『村上ラヂオ』新潮社、2003年。
  3. 神戸-東京間の高速バスが運行開始されたのは1971年の4月からであり、原作小説の設定時期である1970年にはまだ存在していない。

テンプレート:村上春樹ru:Слушай песню ветра th:สดับลมขับขาน

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